オアシズの光浦靖子さん
光浦靖子さんは、1971年5月20日生まれ、愛知県出身。
幼なじみの大久保佳代子さんと「オアシズ」を結成。国民的バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』のレギュラーなど、数多くのテレビ・ラジオ・舞台で活躍する傍ら、手芸作家・文筆家としても活動していらっしゃいます。
ナビゲーター 長谷川 ミラさん
1997年7月7日生まれ、南アフリカとのハーフでロンドンの美大(セントラル・セント・マーチンズ)に在籍する現役大学生!(現在休学中) 2017年より自身のブランド「JAMESIE」を立ち上げ若者に大人気。自身のライフスタイルを発信するYoutubeチャンネルも話題。

- 1 . カナダへの留学を決め、家も引き払った矢先のコロナ渦。家も仕事もない光浦靖子はどうしたか?
- 2 . 初めて自分が作りたいものを作ってみた、それが『私が作って私がときめく自家発電ブローチ集』
- 3 . 手芸は本来「くつろぎ時間」だけど本を作るときは「やりがい」。リラックスは入浴中の読書
ー今月20日に、50歳のお誕生日を迎えられたんですね!おめでとうございます!
ゲスト 光浦靖子さん(以下、光浦) ありがとうございます。
ー何かされたんですか?
光浦 何もしてないです、コロナなので。
ー今夜はたっぷりと光浦さんのことについて、お話を伺っていけたらと思います。よろしくお願いします!
光浦 よろしくお願いします。
ーゲストコーナー、【CITROËN AWESOME COLORS】
今夜のゲストはオアシズの光浦靖子さんです。よろしくお願いします。
光浦さんは明日、5月29日に文藝春秋からエッセイ集「50歳になりまして」。そして手芸作品集「私が作って私がときめく自家発電ブローチ集」こちら2冊を同時発売されますが、2冊同時っていうのは大変だったんじゃないですか?
光浦 大変といえば大変でしたね。1年まるまる費やしたかな、2冊作るのに。1年とプラス1、2ヶ月ぐらい。本当にコロナになってから全部費やした感じですね。
ーなるほど。まずは、エッセイ集「50歳になりまして」の話から伺わせて下さい。
光浦 ありがとうございます。
ー光浦さんは昨年の春、カナダへ留学する予定だったそうですが、コロナ禍でやむなく断念。
その気持ちを綴ったエッセイ、「留学の話」がオンラインで公開されると、たちまち話題となり、「50歳になりまして」では留学を断念した昨年の春から、今年の5月20日に50歳の誕生日を迎えるまでの期間、光浦さんがどのように過ごし、何を感じてきたかを書かれているということですが。
光浦 そうですね。日常だったり、未来将来についてとか、なんか50歳になっていろんなことを。
ー留学しようと思ったきっかけ、理由は何だったんですか?
光浦 きっかけは英語が喋れるようになりたいっていう、本当に純粋に。
あとは、もうタイムリミットかなって、自分の中で、次のステップへの。仕事は常にやっていたいので、次に生かすための。何事も10年かかると思っていて、60までにと考えると。
やりたいことがあるんですけど、それが、英語をマスターしないとできないことで。日本でも勉強したんですけど、私耳が悪くて何も聞き取れないで。これはもう行った方がいいだろって。
ーカナダにしようと思った理由とかはあるんですか?
光浦 偶然です。偶然が偶然を呼んで、本にも書きましたけど本当に偶然ふって湧いたって感じで。
ー留学はどれぐらい行く予定だったんですか?
光浦 最初は何も言わずに、レギュラーのお仕事にだけ言ったのかな、お休みを取れる3ヶ月だけもらって、行って面白かったら戻ってきて、一回整理して長期で行く予定でした。
だけどもうその3ヶ月も行けなくて、それで1年以上待っているって感じですね今。
ーお仕事をお休みして留学をするってことに対して、不安はなかったんですか?
光浦 あるっちゃありますけど、あんまりないですね。
ー今こういったご時世で、それこそ留学とか一歩先のことにステップするというのがなかなかできないって人をよく聞くんですけど。
光浦 時期がありますからね、人それぞれ勝負時もあったりとか。
私はめちゃイケっていう番組にデビューして拾ってもらって、25年続いたのですよ、深夜番組も入れたら。やっぱりその間は休みは取れなかったんですよね。その番組は週に火曜日と水曜日、2日収録で。25年間の火水がその番組だったんです。
それが終わってやっと、自分で休みをとったりとかもできるようになったのと、また年齢的なものもあるかな。今やっておきたいと思って。
60歳、70歳になって留学したら、たぶん老後の楽しみになっちゃって、今吸収したいんですよね。今必要だったりして。やりたいなーと思って。
ーコロナ渦でその留学が中止となってしまって、この1年間はどのように考えて過ごしていらっしゃったんですか?
光浦 最初はみんなと一緒で仕事もなくなって。私の場合は留学行こうと思って家を引き払っていて、4月には退去するっていう契約をしちゃってたんで。
でも3月でみるみる世の中がコロナになって、留学を断念して、でも家がなくなっちゃいまして。住もうと思えば住めたんですけど、住むなら敷金と礼金と手数料と3ヶ月分新たに払えって言ってきて。なぜ同じ家に住むのに3ヶ月余分に払えって。
ー同じ家でですか!?
光浦 そうだよ!
ーそれはちょっと。
光浦 ちょっと頭くるでしょ。頭きちゃって出て行きます!って言っちゃって。
ーそれは頭にきます!
光浦 コロナだしね、イレギュラーな時代だったけど3ヶ月分余分に払えって。出ます!って勢いで言っちゃって家がなくなっちゃって。それで4月からはパタっとテレビの仕事が止まって。
ーテレビの仕事減りましたよね。
光浦 無くなったんだよね、全部再放送で。2ヶ月か3ヶ月ぐらいは本当になかったのかな仕事。
家はないわ、仕事はないわ、で困っちゃって、それで妹の家に転がり込んで。都内にあったんで。
ー素敵。
光浦 人生初の居候生活をして。面白い経験をしましたね。
ー例えばどんなことがあったんですか?
光浦 東京に来て人と住んだことが一回もなかったんで。甥っ子姪っ子とそのファミリーで住んで、家からもコロナで出れないっていう、みんな家の中でしか生活できないみたいな2ヶ月か3ヶ月、なんか面白かったです。
家族ってこんなにイライラするんだみたいな。子供育てるってこんなに大変なんだとかね、妹を見て。もう頭上がらんと思って。
ーそれは本当どの家族も体感した事なんじゃないですか。今までこんなにずーっと一緒にいなかったんだと思って。
光浦 妹の旦那と妹もリモートになれたんで、2人はいつも家でパソコンで仕事してて、夕方になると3人でジョギングに。
子供達は全然、その間ゲームやりたいから。大人3人でちょっとジョギングして、川沿いを走ったりして。夕方の川だからのコバエみたいな小さい虫がドワーっていて、目に入ったとかギャーギャー言いながら。
ー初めて家族と東京で住まれて、そういった心境の変化だったりがこの「50歳になりまして」に。
光浦 なんかね、初のご近所付き合いとか、そんなことも楽しかったり。
ー50歳になって一週間経ちましたが、心境の変化とかありますか?
光浦 全くないですね。日付が変わったぐらいのもんで。
ー素敵ですね。例えば30代から40代とか、20代から30代もしくは20歳になった時とか、節目でこんなことが変わりました!みたいなことを言う方もいて、そんなにこの一年とか1日2日で変わるのかなと思ってたんですけど。
光浦 変わらない。アニバーサリーとか大事にします?
ーするかも。笑
光浦 なんか物買ったりとか、自分にご褒美とか。
ーそれはあんまりないですね。
光浦 私もそうなのよ。
ー元々そういうこだわりがない?
光浦 なんかね、数字が苦手だもんで。本当に誕生日ですら数字が嫌いで。
50だから記念に腕時計の一個でもと思ったけど、まず時計が嫌いなのよ。時間に支配されるでしょ。だから何もいらないやみたいな。
記念日にみんな何か買ったりするのかなあ。
ーでもこの本が記念物じゃないですか?
光浦 そうですね。日記にもなるしね、自分の1年の気持ちだから。
ーとても読みやすくて、今こういったご時世でいろんな心境の変化皆様それぞれあると思うので、ぜひ光浦さんの「50歳になりまして」、手に取って頂けたらと思います。
一曲お送りした後も引き続き光浦さんにお話を伺います。