元バレーボール女子日本代表、大山加奈さん

大山さんは、小学校2年生からバレーボールをスタート。

高校在学中の2001年に日本代表には初選出され、三大大会に出場。
力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれ、日本を代表するプレーヤーとして大活躍!

現役を引退した現在は、全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍しながら、スポーツ界の発展に力を注いでいらっしゃいます。

ナビゲーター 長谷川 ミラさん

1997年7月7日生まれ、南アフリカとのハーフでロンドンの美大(セントラル・セント・マーチンズ)に在籍する現役大学生!(現在休学中) 2017年より自身のブランド「JAMESIE」を立ち上げ若者に大人気。自身のライフスタイルを発信するYoutubeチャンネルも話題。

ナビゲーター 長谷川 ミラさん

ー実は私も小学校時代かなり本気でバレーボールをやっていて、大山選手にずっとずっと憧れておりました。本日お話を伺えるのをとても楽しみにしています。

この後大山さんとバレーボールトークはもちろんくつろぎ時間のお話などたっぷり伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。

ゲスト 大山加奈さん(以下、大山) よろしくお願いします。

ー大山さんは今年2月に、双子のお子さんをご出産。現在子育てに奮闘中。ということで、本日は大山さんのご自宅とリモートで繋がっています。今もそばにお子さんいらっしゃるんですか?

大山 リビングの方に2人ともいますね。

ー双子の赤ちゃんのシルエットとかインスタで拝見していて、本当に可愛くって。

大山 ありがとうございます。

ー大山さんのバレーボールとの出会い、そしてスタートしたきっかけを教えていただきたいです。

大山 きっかけは大きかったからですね。今187cmなんですけども、小学校に入学した時点で140cm近くあったのかな。

ーえー!!

大山 本当に大きくて。入学するとすぐに大きい子がいるぞって学校中で噂になって。で、バレーボールをしている先輩たちが、大きいからバレーボールやろうよって声をかけてくれたのが、バレーボールとの出会いです。

それでお練習を見に行くと、その先輩たちがキラキラ輝いて見えて。私も先輩達みたいにキラキラしたい、輝きたいっていうのでバレーボールを始めました。

ーでもそのきっかけが小学校2年生というのは、すごく早いですよね。

大山 そうですね。出会いは入学してすぐだったんですけど、実は結構重たい喘息を持ってまして、なのでバレーボールやりたいって思ったんですけど、両親が体のことを心配して、一度諦めたんですね。

ーそうだったんですね。

大山 でもどうしても、やっぱり先輩達みたいになりたいっていう思いが消えなくて、小学校2年生に上がった時に、絶対やめないからお願いしますって両親を説得して、なんとか始めることができたんです。

ーバレーボール人生って結構小学校から始まる方多いんですよね。

大山 そうですね。長谷川さんもすごい私もよく知っているチームでバレーボールされてたんですよね?

ーそうなんです。新宿柏木クラブというチームで。それこそ小学生の時にやらせてもらっていたんですけど、同級生は大山さんが行ってらっしゃった、下北沢聖徳高校に4,5人ぐらい進学して。

小学校のクラブチームとはいえ、厳しさ、過酷さがあって、夏休みもなく練習していました。大山さんの時代もそうでしたか?

大山 もうまさに、本当に夏休みは朝から晩まで練習していましたし、それこそ柏木クラブさん主催の合宿、本当夜まで練習試合、ゲームしてましたね。

ーそうなんです。朝の8時からスタートして、夜の8時まで練習試合を永遠にして、暑い中。今では考えられないような動きをしていたんですけども。

大山さんは、小中高すべての年代で全国制覇を経験、そして高校在学中に日本代表に選出されました。これ小中高生制覇、なかなかいない、さすがレジェントだなと思うんですが。

まずこの高校生の時に日本代表に選ばれた時の、感想というか感覚はいかがでしたか?

大山 まず自分が代表に入ったって知ったのが、春高バレーの初戦の日に、メディアの方から代表に選ばれてますよって言われて知ったんですね。

ーえ!メディアの方に!

大山 そうなんです。試合前だからもうそれどころじゃなくって。びっくりしたけども、それどころじゃないみたいな感じで知ったのが最初で。

ー春高バレー最中にあんまり言って欲しくないですね。

大山 本当にそうなんです。時期的に、ちょうどその時期が発表の時期なんですよね。

ーそして代表に選ばれて、実際にプレイしてみて、周りは大人の方ばかりだったと思うんですけど、いかがでしたか?

大山 最初はもう、とにかく代表に入れたことが嬉しかったですし、自分よりはるかにすごい人たちと試合ができることが幸せで、とにかくワクワクドキドキしながらプレイしてたんですね。やっぱりそういうメンタルでプレイすると、良いプレイがたくさん出るんです。

でも徐々に、日本代表っていうのは、ただ楽しいだけではダメなんだっていうのを、痛感させられる出来事もたくさんあって。ただ楽しいだけじゃなくて、やっぱり相当な覚悟、責任が必要なんだっていうのを徐々に知っていった感じですね。

ー今日本代表としてのお話だったんですけども、春高バレー中、高校の全国大会中に日本代表に選出され、そして日本代表の試合でもプレイしながら、高校の練習にも参加されていたと。

大山 そうなんです。なので常に大会、試合みたいなスケジュールでしたね。

ーオフシーズンというか、ちょっとした休みも代表の練習に行かれて。

大山 そうです。

ーこの両立は本当に想像ができないですね。

大山 きつかったですね。

ーそうですよね。その時の心のケアとか、体のケアはどうだったんですか?

大山 それもできてなくって。なので肩と腰に痛みを抱えていたんですけど、それもやっぱり悪化してしまいましたし。代表でやっている時は一番年下で、でもチームに戻ればキャプテンでっていう、その切り替えがすごく難しかったですね。

ー想像ができないですね。代表の世界では、栗原選手と共にメグカナと呼ばれ、バレーボール界だけでなく世間に常に注目される存在となった大山さんだと思うんですけれども、このメグカナと呼ばれることにご自身の中で葛藤であったり、苦悩、あったそうですが。

大山 たくさんの方に応援してもらえることは本当に幸せな事だと思うんですよね。なのでありがたいなと思いつつも、常に2人一緒、セットだったので、私を見て欲しい、個人でも評価して欲しいというのは常にありましたね。

それにこう、ライバル扱いじゃないですけど、めぐが活躍すると、栗原選手は活躍しましたよみたいな感じで、比較をされるので。やっぱりまだ若かったこともありますし、しんどかったですね。

ーそうですよね、栗原選手とは同い年ということで。ライバルと言うか、比べられやすい存在でしたけども。でも本当にお二人のおかげでと言いますか、私もバレーボールやりたい!って。オリンピックを見ていて、子供の時に思ったので。

こういうなんかボールを落とさない、こんな楽しいスポーツがあるんだっていうのを、オリンピックをきっかけに知って。で大会を見ながら、こんなかっこいい二人がいる、こんなエース選手がいる日本代表かっこいいっていうので、多分多くの、私世代は特に、多いと思うんですけども。

今仰っていたような葛藤、伺ったところによると、お二人一緒にいるとメディアの方が集まるから、なるべく一緒にいなかったようにするとか。スポーツ以外の面でも大変だったんだなと感じました。

大山 そうですね、まずでもそうやって私たちの姿を見て、バレーボールをやってくれたっていうのは本当に嬉しいですし、幸せだなーっていうのを感じますね。

めぐと二人で一緒にいると、メディアの方が注目してしまうので、徐々にこう離れるようになってしまったのは、それはすごく寂しかったですね。

ーそうですよね。ただ本当お二人のご活躍のおかげで、日本代表がどんどんどんどん、バレーボールがどんどん盛り上がっていったという、そして今代表に選ばれている方々も、お二人がきっかけになった人本当に多いと思うんですね。

勇気と、そしてご活躍のおかげだと思います。やはり選手にとって、日本代表、これは特別な存在なんでしょうか。

大山 そうですね、やっぱり私自身も小さい頃、テレビで日本代表の試合を見て憧れて、日本代表に入りたい、あの場所でプレイしたいってずっとバレーボールやってきたので、特別な場所ですね。