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冒険サスペンスの金字塔。主人公ルイス・ケインは英国の「元特殊作戦執行部員」で、第二次大戦中はレジスタンスに協力し、物資や人を運ぶ仕事をしていた。

現在はイギリスとフランス間のビジネス代理人をしている。法律業務と、若干の違法業務。

ある日彼は、かつてのレジスタンスの元締めで今はやり手の弁護士であるメルランに呼び出される。顧客の実業家マガンハントがタイムリミットまでにリヒテンシュタインに行きたがっている。だがそれを望まない連中がいる。護送を頼めないか、というのだ。なぜ警察に保護を頼まないのかと問うケインに、弁護士は憂わしげな笑みを浮かべて言った「マガンハルトはフランス警察にも追われているんだよ」。

列車では目撃者が多くなるし、近頃の飛行場は監視がすごい。小型機では一気にリヒテンシュタインまで飛べない。簡単に用意できて臨機応変に動ける車を勧める、と弁護士は言った。かくしてまず旅の用心棒となるガンマンが用意される。ヨーロッパで三番目の腕だと評判の元米国シークレット・サービス、ハーヴィー・ラヴェル。次に車だ。黒のシトロエンDS。このあとピックアップ場所である海の町カンペールの路上で、ケインは車の中にとんでもないものがあるのを発見する。

ここからの「予想外」が素晴らしい。「すんなり着きました」ではお話にならないので、サスペンスものには試練が盛り込まれていくが、嘘っぽい「困難のための困難」では読者は冷める。「ああ、そんなことが!」という意外性とリアルのぎりぎりを行く展開、「さあどうする!?」とわくわくが止まらない打開方法。本書はこの畳みかけが一級品なのである。

合流したマガンハントに連れがいたこと、拳銃使いハーヴィーの抱えている問題、ケインの過去の女、死にぞこないの老いぼれペテン師など、登場人物は個性派ぞろいでそれぞれに思惑がある。二十四時間ですむはずの旅は、回り道や立ち寄りの連続に。そんな人間たちに寄り添うのがシトロエンだ。

車は嘘をつかない。傲慢、プライド、狡猾、愛ゆえに「実は言っていなかったこと」を持たない。ひたすら走る。それだけ。

「流線形のフロントエンドがいつ見ても少し口をあけた牡蠣を連想させる」
「DSはとてつもなくすぐれた車だが、とてつもなく奇妙な車でもある。ギアチェンジはマニュアルだがクラッチがない。前輪駆動だし、一切が油圧で作動する。サスペンション、パワーステアリング、ブレーキ、ギアの切り替え――すべて油圧だ。この車には人間の体内よりも多くの血管が走っている」

ハードボイルド作品には自動車や拳銃を道具のように描き、クラッシュにつぐクラッシュ、撃っては捨て、撃っては捨てを繰り返すことで、それでもピンピンしている主人公のタフさを見せつけようとするものもあるけど、『深夜プラス1』にはそれらへの敬意がある。

「車が縮んで体をぴったりと包み、自分の一部になったような気がした。(中略)車は薄暗い運転席にいるわたしとハーヴィーだけになり、高性能弾丸のような正確さで闇の中を突っ走っていた」――本書でシトロエンDSは単なる移動手段ではない。人間と運命を共にする存在なのだ。

二台目はシトロエンの灰色のバン、三台目はロールスロイス・ファントムⅡが登場するけど、でもやはり一台目の黒のDSが強烈に胸に残る。危機に陥った時のふんばりと、その後の身のよじれるような哀切。車そのものに、「行け行け!」「がんばれ!」と応援したくなった最高の作品。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ

間室 道子(まむろ・みちこ)

雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

撮影:清水 祐生