操縦するパイロットの青年の名はチャールズAリンドバーグ。
まだ、飛行機というものが長距離の飛行に耐えられないと考えられていた時代に、大西洋横断に挑み航空業界の未来を切り開いたのがリンドバーグである。
この歴史的偉業を映画化したのが1957年のビリー・ワイルダー監督作品『翼よ!あれが巴里の灯だ』。物語はまだリンドバーグが航空郵便配達をしている若き日から描かれる。
史実ではこの時リンドバーグ25歳、しかし、演ずるジェームズ・スチュワートは47歳。些かの無理を承知でのキャスティング(髪は金髪に染めて)はハリウッドならではだが、おそらく第二次世界大戦に空軍パイロットで軍務についたスチュワートのイメージを優先したのであろう。
製作のワーナー・ブラザースは、当初もっと若い俳優を考えていたようで、その候補にあのジェームズ・ディーンがいたという映画界の噂話も存在する。なんとディーンの歳はリンドバーグと一緒であったという事実や、もしディーンだったらと考える【たられば映画史】の妄想をするのは映画ファンの特権である。
映画が始まって、離陸に成功する場面になるのが1時間10分後、実はこの前半にこそ映画の醍醐味がぎっしりと詰まっているのである。飛行機購入のためのリンドバーグ自身による銀行家へのプレゼン、そこで決まる飛行機の名前(それが、この映画の原題名)、大企業の飛行機ではなく、町工場のような仲間と出会って購入することになる、カスタマイズされて出来上がる愛機の描写など、リンドバーグの偉業に関わる人たちの群像劇が手際よく描かれる、これぞ当代きっての職人監督ビリー・ワイルダーの手腕である。
ワイルダーといえばコメディ映画の監督という印象が強いが、それだけではないのがミステリーの『情婦』、ハリウッド映画界の内幕を描いた『サンセット大通り』とこの作品で証明されている。そのうまさは離陸後の回想場面にも現れ、少しも単調な飛行場面になっていないのに驚かされる。
たった一人の機内でのリンドバーグの話し相手は自分自身と、迷い込んだ蠅一匹。前夜、緊張で眠れなかった彼に襲って来るのは睡魔。ここからのジェームズ・スチュワートの一人芝居を観客は堪能することになる。眠りそうになるリンドバーグを助けたのは顔に止まった蝿。そのむず痒さの描写は秀逸である。
回想場面は、空中サーカスの飛行パイロット時代や、航空輸送を請け負うリンドバーグの姿を見せる。その運ぶものにニュース映画のフィルム管がチラリと映り【デンプシー/ フィルポ】と読める。1923年ボクシング創生期の伝説のチャンピオン・ジャック・デンプシーとアルゼンチンのルイス・アンジェロ・フィルポ戦のフィルムである。8万人以上の観客を集めたとして語り継がれる伝説の試合。こういう場面からもアメリカの近代史が垣間見える楽しさは映画ならでは。
この作品とシトロエンの繋がりは映画の中というより、史実に存在する。リンドバーグが33時間かけて飛行し、ここがパリだと確認したのがエッフェル塔に掲げられた【Citroën】という電飾看板だったと伝えられている。映画でもパリの夜景や夜の凱旋門、そしてエッフェル塔も映るが、その空撮は映画製作時のもの。看板を出していたのは1925年から10年間だったので、映画には登場しない。
でも、ラストにリンドバーグのニューヨークでの凱旋パレードの実写が入るのであれば、写真だけで良いのでエッフェル塔の看板を見せて欲しかった。ちょっと残念である。
代官山 蔦屋書店 映像担当コンシェルジュ
吉川 明利(よしかわ・あきとし)
小学校6年で『若大将』映画に出会い、邦画に目覚め、中学3年で『ゴッドファーザー』に衝撃を受け、それからというもの"永遠の映画オヤジ"になるべく、映画館で見ることを基本として本数を重ね、まもなく49年間で10000本の大台を目指せるところまで何とかたどり着く。2012年より代官山 蔦屋書店映像フロアに勤務。
撮影:清水 祐生